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理崎ヒカルのブログ

慢性副鼻腔炎と「うつ」「ひきこもり」「不登校」などの関係を調査、研究しています。 今のところの仮説としては何らかの要因(口内からの病巣疾患、ウィルス・細菌の感染、アレルギー、低周波音や高周波音や電磁波、ブルーライトなどの光刺激、天気(気圧)、家庭・学校・会社などの社会的ストレス、など)の複合的な影響の結果、慢性的な副鼻腔炎や鼻炎や咽頭炎を引き起こし、その炎症性の浮腫(むくみ)や気圧差による圧力などが様々な脳神経を圧迫して多様な障害をもたらすという鼻性脳神経症候群として捉えて取り組んでいます。 (注:なお鼻性脳神経症候群という言葉は現状の概念を説明するために用いている私の造語、仮説です。)

ニュース感想:「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きること

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ニュース感想:「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きること

「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きること
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e7%a7%81%e3%81%af%e2%97%8b%e6%ad%b3%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%80%8d%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8/ar-BBqDOnT?ocid=spartandhp#page=2

興味深かったのは、

「とっくの昔に死ぬ人が今は生きている」

私自身、介護ではほんのわずかですがつらい思いをしましたし、介護現場で働く人から聞いた話では、それ以上の悲劇的状況がたくさんあるといいます。孤立、虐待、貧困……、親のために自分の人生を犠牲にしている人も少なくないそうです。

という部分。

 そもそも介護や看病というものには犠牲精神が要求されるものですが、そうした自己犠牲の精神そのものは称賛されるべきものです。しかし、現実にはそうした自己犠牲の精神があまりにも当然のものとして要求されている現実があるのだと思います。言い換えれば、医者だからやって当たり前~、看護師だからやって当たり前~、家族(長男の嫁、同居家族、etc)だからやって当たり前~、・・・という論理です。そして、人としての倫理観や責任感、ヒューマニティにつけこむ形で人を不当に利用している現実があるのだと思います。

 私たちはもしかしたら現実の看病や介護の前に神話と戦っているのかもしれません。医療とはこうあるべきだ、介護とはこうあるべきだ、そして家族とはこうあるべきだ、という神話です。そしてその神話をあざ笑うかのように迫ってくる現実とのギャップがあまりにも大きくなっているのが今の日本なのかもしれません。そして(殺人など事件に発展しない限りは)誰にも省みられることもない悲劇が今もどこかで続々と生まれ続けているのだと感じます。

 

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理崎ヒカル
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